2007年8月18日土曜日

羽生善治三冠のコメント

*初日の参加者からの発表に対し、羽生善治三冠よりコメントを戴きました。



Hello, my name is Yoshiharu Habu, and I'm a shogi player, and sorry, after that I speak in Japanese.

 発表を大変興味深く聞いていました。私はですね、将棋のプロということでもあるんですけど、シャンチー(中国)であったり、チャンギ(韓国)であったり、マックルック(タイ)であったり、そういったアジアの国にある将棋のルールも一応ですけど覚えました。それを比較していくうちに、色々な事に気が付きました。
 何を気付いたかと言いますと、その国の習慣だったり、文化だったり、思想だったりするんです。それで、逆に将棋が非常に日本的であることにも気が付きました。
 それで私が感じているそれぞれの国の将棋について言っていきたいと思います。まず最初はシャンチーですね、シャンチーは非常にダイナミック、一言で言うとダイナミック、強い駒、飛び道具の駒が多いというのが一番の特徴だと思っています。例えばそれが非常に中国的だなと感じているのは、真ん中に川があること、後はですね、9掛ける9の升目から王様が出られないということは、都市国家ということに関係しているのかなということとですね、後は、「馬の足縛り」というのがあるんですけど、これなんかは「纏足」とかと関係しているのではと思います。
 では、次はチャンギなんですけど、チャンギは非常にシャンチーと似ているところがあるんですけど、歩の動きをするところが横にいけるというのと、桂馬がちょっと変則的な(動き方をする)ところが、工夫をした、シャンチーから工夫をしたという印象ですね。それで、その、端の方の二枚の駒を自由に(対局開始時に)変えられるというところも、多分その違いを見つけるための工夫だと感じました。私がすごい印象的だったのはですね、年下の人の方からしか指してはいけないというのが儒教とかの影響があるのではないかなと思います。
 次はマックルックなんですけど、マックルックはですね、実は結構日本の将棋と配置が似ていてですね、一番最初に覚えたときに一番入りやすかったといいますか、将棋を指す人間から見て一番わかりやすかったのがマックルックなんです。この将棋も激しい部分はあるんですけど、このマックルックはもうちょっと他の将棋と比較すると穏やかって言うんですかね、そういう印象があります。
 で、将棋ということになるんですけど、将棋はですね、正式にいつ日本にやってきたとか、どういう風に変わったかということは全くわからないんですけれども、ただですね、やっぱり今まで話してきた将棋の影響を強く受けているということは間違いなくて、それはその、今比較してみると明らかに両方の影響を受けているということだと思います。ただ、そこからですね、やっぱり独自のルールを発展させたと私は思ってるんです。それがその、例えば持ち駒を再利用するっていう、これがその将棋で、これで何が一番起源として変わったかって言うと、例えばそのシャンチーとかでいうと最初非常に強い駒がたくさんあるんで激しい展開になるんですけど、終わりが駒が少なくなって静かな展開になるんですね。でも、将棋は逆で、強い駒が少ないんで、最初は静かな展開になるんですけど、使うことによって最後は激しくなると言うか、流れが早くなるのが特徴です。
 で、もう一つがですね、小さくなってゆくと言うか、ゲームは面白くする必要が絶対ある、みんながするために面白くする必要があるんです、日本はそのために升目を小さくした、それで駒の力を弱めるというか、駒の数を減らすとか、強い駒を少なくしたんですね。これが日本の文化の一つの特徴だと思ってるんですね、これが例えば俳句であったり、短歌であったり、相撲であったりにあらわれているんですね。わかりやすい例で言いますと能がいちばんいいですよね、能ってその能面をつけるんですね、能面を付けたらその人の表情が見えないんですけど、ただその表情を見えなくすることによってその人の心のうちとか、考えとか思いを表現している。つまり、小さくするっていうか、少なくすることによって、より本当の内面の所をはっきり表すって言う所が往々にしてあるんじゃないかって思ってます。

Thank you for listening.


*意味が変わらない程度に、話し言葉を一部
*書き言葉調に変えさせていただいた部分が
*あります。ご了承ください。
*羽生先生、ありがとうございました。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 羽生三冠の日本将棋の特徴から見た「小さくしていくことが日本文化の特徴の一つである」という日本文化論は、先頃都内の小学校で講演された際にも取り上げられていました。
 駒の数、性能を制限するという特徴は知っていても、将棋という日本文化の一つから、日本文化論へとアプローチしていく考え方が新鮮でした。
 日本将棋を、他の将棋系統のゲームとで論じるタテの線と、日本文化の中での位置づけで論じるヨコの線とで組み合わせることで将棋文化論が活性するきっかけになることを期待しています。